自分の好きな人に自分の好きなものをあげたいお話。


 かーん、かーん、と副棟の見晴台から鐘の音が鳴り響く。
 それをしかと聞いた役人たちは、月明かりに真っ黒の甍を煌かせる主棟へと移動する。その者たちの大半の足取りが軽く浮きだっていた。
 そして、討伐使本部から主棟への連絡通路を行く二人の足取りは殊更に軽いものだった。
「わざわざ本部まで迎えに来てくれなくてもいいのに」
 そのうちの一人である龍悟は、目下で揺れる赤毛を追いながら、柔い苦笑を見せる。
 赤毛の持ち主――千華が歩みを止めて勢いよく振り返り、掛けられた言葉に対して反論するべく口を開く。
「何言ってんだ、今日は唐揚げ食い放題の日だぞ! 俺の大好物だぞ! 色んな味もあるんだぞ!」
 彼は犬歯を見せてまくし立てたが、他人がこれを聞いても迎えに来た理由として受け取れないだろう。どこか的外れな返答に聞こえる。
「つまり、気持ちがはやって居ても立ってもいられなくなった、と」
 しかしその『他人』の枠に収まらない龍悟はと言うと、千華を片手で宥めながら、再び眉を八の字に曲げて笑う。彼にとっては慣れたことなのだ。
 言葉の趣旨を簡潔に汲み取ってもらえた千華は満足気に頷き、歩みを再開させ、食堂へと繋がる扉をそれっと開け放った。
 外気とは大きな差がある熱気が吹き込み、龍悟は思わず目を細める。
 今回の献立を心待ちにしていた者たちの弾んだ話し声。おそらく唐揚げのものだろう、香ばしい油の匂い。普段の食堂も賑やかではあるが、今夜はまた一段と活気に溢れていた。
「おーい、ちーちゃん龍くんこっちこっち!」
 喧騒に紛れることなくよく通る声を追うと、三人分の席を確保して手を振る人影が見えた。
「碧ちゃん。席取っておいてくれたのか」
「俺が頼んだんだよ。揚げたて唐揚げの隣は、ここで手伝いしてるお前じゃねぇと取れねぇぜ」
「当ったり前でしょ」
 額から二本の角を生やした鬼である碧は、千華と拳をぶつけ合った。どうやら彼女も今回の唐揚げ大収穫を狙う者の一人らしい。
 ここで説明をしておくと、『唐揚げ食べ放題祭』もとい『献立:唐揚げ・味噌汁・ご飯の日』は、年に一度の肉好き役人の祭典である。
 普段は既に用意された料理を厨から受け取り席について食べるだけなのだが、今回は食堂の中央に西洋仕入れのワゴンが運び込まれ、そこに巨大な米びつと味噌汁の鍋と唐揚げの大皿が並べられる。そこに並べられたものはいずれもおかわり自由。しかし量に限りはあるので、最初の一回以降は早い者勝ち。それに準じ、食べ終わり次第すぐにおかわりに行けるため、席が中央のワゴンに近いほど有利となる。
 もちろん、一度によそえるのはそれぞれの食器に入る分だけ、おかわりに行けるのはその食器を空にしてから、割り込みや妨害はご法度といった決まりごともきちんとある。違反した者はおかわり禁止となるので、皆礼儀正しく尋常に戦いに挑むのだ。
 現在はまだ席取りの時間で、ワゴンは来ていないようだった。
「俺は二回目だけど、前回にも負けず劣らずの熱気だなぁ……これで怪我人が出ないのが不思議だよ」
 龍悟は若干気圧されつつ、中央とは逆の座蒲団に座る。彼は肉への熱い思いがあるわけではなく、平和に食事ができればそれでいい部類の一人だった。
「そりゃ、違反取締りに当たってんのが夜隆さんだからな。みーんなイイ子にならぁ」
 千華はちゃっかりと、一番中央に近い席――龍悟の隣の座蒲団にどかりとあぐらをかく。
「機構最強の現役戦闘員が唐揚げの取締りってなんか締まんないけどね~。あたしもあの人にだけは怒られたくないや」
 千華の正面に座った碧はからからと笑い、三人分の緑茶を湯呑みに注いで配る。
 お礼を言って緑茶を受け取った千華と龍悟は、これから始まる戦いに向けて、それをぐっと一口飲み込むのだった。



 かくして、一通りの役人が席についた頃。
「お待たせしましたーっお食事の時間でーす!」
 宮食員の高らかな声が響き、がらがらと音を立てながら揚げたて炊きたてできたて三拍子の夕食が食堂の中央へと運び込まれてきた。周囲はわっと沸き立ち、数秒数える間もなくやんややんやの大喝采の渦。中から指笛や催促の声まで聞こえる。
 まずは焦らず順番に、始めの一杯を宮食員によそってもらう。
 意気揚々と先頭に並んだ千華は、食器に料理が盛られていくのを目を輝かせて見ていた。碧を挟んで後ろに並んだ龍悟にも彼の腹の音が聞こえて、思わず吹き出して笑う。
「はい、ちーちゃん。おかわりしたいからって急がないで、ちゃんとよく噛んで食べるのよ」
「うぃーっす!」
 その後、三人共お盆を持って席につく。
 一際湯気を立ち上らせるのは、つやつやの若草色に蒸された枝豆がたっぷり入ったまぜご飯。味噌汁は白味噌仕立てで、豆腐に人参、玉葱にさつま芋、ほうれん草も入った具沢山。そして件の唐揚げは四つの種類が一つずつあり、一つは簡素でいて王道の出汁醤油、一つは柚子胡椒風味、一つは甘辛い胡麻味噌仕立て、一つは梅肉と青紫蘇入りらしかった。
 全て予め見ていた献立に記してあった詳細だが、その光景が今目の前にある。これには堪らず、おかわり目的でない龍悟も涎をごくりと飲み込むしかない。
「それでは皆さん」
 食堂中央に立った宮食長が拍子を取る。役人全員が、慣れた動きで手を合わせて大きく息を吸った。
「いただきます!!」
 掛け声が終わるや否や、各所で一斉に箸を取る音がする。
「ん~~っうっめぇえ」
 一番に柚子胡椒の唐揚げを頬張った千華が、身を震わせて大きく唸った。
「やっぱりこれよねぇ」
 碧は梅青紫蘇の唐揚げを口へ運び、頬が落ちそうだと手を当てて舌鼓を打つ。
 一方龍悟はと言うと、そんな二人をにこにこと眺めながらのんびりと味噌汁を啜っていた。唐揚げはもちろんおいしいのだろうが、味噌汁だって負けてはいなかった。
 しかし、それに気がついて黙っている肉食二人ではない。
「おい龍悟、唐揚げ食えよ。柚子胡椒うめぇぞ」
「何言ってんの、梅青紫蘇よ梅青紫蘇!」
 早々に自分たちの唐揚げを平らげると、自分のお気に入りの味を勧めに入った。どちらが上か勝負といこうじゃないかという勢いだ。
「えっ」
 思いも寄らない展開に龍悟が迷いを見せる。すると千華は行儀が悪いのも気にせず、龍悟の皿から柚子胡椒の唐揚げを取り上げ、すかさず龍悟の口の前へ持っていった。
「俺の勧めるもんが食えねぇわけねぇよな!? 俺はお前の一番だろうが! 口開けろ、ほら」
「そっそうだけど、それと唐揚げは関係が」
「あーっ、そういう特権みたいなのずるい!」
「いや、どっちもおいしそうだしどっちも食べるからな!?」
 こうなったら、と龍悟は自分で梅青紫蘇の唐揚げを摘む。千華に寄越された柚子胡椒の唐揚げにかじりつくとほぼ同時に、梅青紫蘇の唐揚げも器用に頬張ってやった。
 狐色に揚がった衣を破ると、じゅわりと肉汁が溢れる。一方で柚子胡椒の爽やかな辛味が食欲を駆り立て、一方で梅と青紫蘇の酸味を帯びた香りが鼻腔をくすぐった。もちろん肉は柔らかく、噛むほどに下味の出汁の風味が口内に広がっていく。口にしただけで幸せというのはこのことだ。
 おいしいおいしいと龍悟が何度も頷く。じっと様子を見守っていた二人は、満足そうに「そうだろ」、「そうでしょ」と声を合わせた。
 唐揚げ二つを無事堪能し終わった龍悟は、枝豆ご飯を頬張りながらあることに気づいた。
「二人とも、おかわりはいいのか」
 龍悟の言葉に数秒間動きを停止させた千華と碧は、顔を見合わせ目を見開く。
 既に唐揚げを食べ終わっているにもかかわらず、龍悟に自分のお気に入りの味を食べさせたいがために、本来の目的のはずだったおかわりをすっかり忘れていたのだ。
「俺の柚子胡椒!!」
「あたしの梅青紫蘇ーっ!!」
 早くも低くなり始めている唐揚げの山に駆け寄る二人。すかさず違反取締りの夜隆が目を光らせ、「そこ、走るな」と注意する。
 その光景を眺める龍悟は、目を細くして笑った。